広報誌「真金倶楽部(まかねくらぶ)」
真金倶楽部

   「まかねふく」は「吉備」の枕詞です。
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NO.3  2003.3

 第3号の真金倶楽部です。
 まずは下の絵を見ていただきましょう。

はてな? 「岡山城内博覧会図」

 「これは何を描いた絵なの? お城の絵みたいだけど」という質問がありました。みなさんは、何の絵だと思いますか?
 この絵は「岡山城内博覧会図」といって、明治12年(1879)に岡山城を会場として開催された民立博覧会の錦絵です。ちょっと詳しくみてみましょう。

≪時代背景≫
 明治政府は明治6年(1873)のウィーン万国博覧会参加の経験から殖産興業政策の一環として明治10年(1877)、東京上野公園で第1回内国勧業博覧会を開催しました。内国勧業博覧会はこの後、明治36年(1903)大阪市天王寺で開催された第5回まで続くことになります。

≪岡山県では≫
 岡山県でもこれら明治政府の動きを受け、明治12年(1879)4月高崎五六県令の主唱により、元県権令新庄厚信が頭取となった岡山博覧会社との官民合同で民立博覧会が開催されました。(画面左上 図1参照)
 博覧会は岡山城本丸を会場に4月1日から6月14日まで開催されました。農業館・動物畜養所・機械館などに分かれた会場(画面右上 図2参照)には、県内外からの出品約5,300点が陳列されました。それらを見るために初日には4,000人、会期中のべ15万人以上もの入場者があったそうです。

≪博覧会の様子≫
 「岡山民立博覧会縦覧記」のタイトルで会場の様子、出品の感想などが連日、山陽新報に掲載されています。
 例えば「薬品の部で精錡水と見えるので岸田吟香が東京からわざわざ出品かと思ってよく見たら総社の松永氏が製薬した精錡水でありました」、「帯山与兵衛の京都名所画の花瓶、鹿児島の丸竹に彫刻を加えたる弁当箱、伊万里焼の香炉は名産たるにそむかず実に美なる器なり」などなど。
 また、岡山県師範学校教師佐分利隆の考案による風車を利用した噴水(画面右上 図3参照)や軽気球(画面左寄り 図4参照)は特に人気を呼んだようです。

≪錦絵について≫
 錦絵自体に目を向けてみると、5枚続きの版画をつなげて岡山城本丸を南側から描いたものとなっています。また、右端に「常彦」の文字があることから、錦絵の原画は岡本常彦(四条派の画家岡本豊彦の甥)であると考えられます(画面右下 図5参照)

 描かれた人々を見ると、それまで岡山城に入ったことのなかった県民が「はあ、これが池田の殿様のお城じゃてえ~」などと言いながら会場に詰めかけた楽しそうな雰囲気が伝わってきませんか?(画面下 左から順に図6図7図8図9図10 詳しくは文献をどうぞ。


参考文献をどうぞ <参考文献>

  •  『岡山城内博覧会図』  岡本常彦
  •  『国史大辞典 10巻・11巻』(内国興業博覧会・博物館の項)  吉川弘文館  1989・1990
  •  『図説 明治事物起源事典』(博覧会・博物館の項)  湯本豪一  柏書房  1996
  •  『岡山県政史 明治・大正編・昭和前期編』  岡山県  1967
  •  『岡山県史 第10巻 近代1』  岡山県史編纂委員会  山陽新聞社  1985  p.343-345
  •  『新聞記事と写真で見る世相おかやま 昭和戦前明治大正編』  山陽新聞社出版局  1990
  •  『おかやま人物風土記 「グラフおかやま」再読』  岡山県公報協会  2002
  •  『山陽新報』  明治12年4月2日~6月17日
  •  『流域の画家』  脇田秀太郎  「高梁川」6号  1958年4月  p.8-11
  •  『岡山市史 美術・映画編』  岡山市史編集委員会  1962  p.106-107
  •  『写真集 岡山城』  渡辺泰多  1992

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