宇喜多直家・秀家
(1)「梟雄」宇喜多直家

 一人の人物を振り返るとき、その人物像は時代により大きく異なる。
例えば昭和11年に発行された『岡山市史』第二巻(岡山市編・刊、昭50復刊)を読むと、宇喜多直家は権謀術数にたけ、悪辣なる手段を用いて領国を拡大していった「梟雄」、あるいは「奸雄」といった表現に何度か出会う。
 しかし最近ではそういう捉えられ方は少なく、その子秀家とともに岡山城と岡山城下町の生みの親という 測面が前面に押し出されているようである。
 今回は宇喜多氏の資料紹介とともに、宇喜多氏の評価について 考えてみたい。『劇画・郷土の歴史 岡山城築城四〇〇年 編』〈上・下〉(平8・株式会社吉備人編集制作、タケバヤシ哲郎作画)や、『マンガ「岡山物語」』(平8・岡山城築城400年関連事業推進協議会発行、南一平作画)は、前に述べた岡山城下町発展の礎を築いた歴史上の人物として宇喜多氏をあげている。
 劇画・マンガという万人になじみやすい表現方法で構成されており、主人公宇喜多直家・秀家の「国盗り物語」的な読み物である。

 さて、早稲田大学文学部内の「岡山藩研究会」は、岡山藩の支配方法と社会構造をテーマに研究活動を続けている会で、近年この宇喜多直家に対しても関心を寄せている。
 平成8年にまとめられた同会の研究成果報告書所収の小論文「宇喜多氏権力の形成」(久保健一郎)では、宇喜多氏を織田氏・毛利氏という二大勢力に挟まれた「境目」の領主として再検討をはかろうとしている。
 また、宇喜多氏を浦上氏の家臣とする説に対しても疑義を投げかけており、今後研究が進められれば宇喜多氏の評価もかなり変わってくるであろう。

(2)宇喜多氏に関する史料

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重要文化財 絹本著色宇喜多能家像
(岡山県立博物館所蔵)

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 一般に、宇喜多氏関係の史料は少ないと言われているが、 宇喜多氏を中心とした戦国動乱について書かれた読み物・小説は数多い。
 その一部を紹介すると、『浮田秀家』(明44・齋藤嘉吉編)、『八郎どのの生涯』(昭45・宇垣武治・吉備愛郷会)、『備前藩宇喜多小早川池田史談』( 昭51・荒木祐臣著)、 『岡山城物語 上』(平3・市川俊介著)、『岡山の戦国時代』(平4・松本幸子著)や、平成九年に山陽新聞で連載されていた『備前物語』(津本陽著)などがあげられる。
 同じ宇喜多氏でも取り上げられ方が異なっており、読み比べてみると面白い。


 これらの読み物の下敷きとなっていると考えられるのが、 『備前軍記』(『吉備群書集成』第参輯[大11・吉備群書集成刊行会]所収)である。これは土肥経平によって安永三(1774)年に成立した戦記物語で、備前における戦乱や武将の興亡を記したものとして高く評価されている。この『備前軍記』を現代語訳し、理解しやすくしたものが、『新釈備前軍記』(昭61・柴田一編編)である。この他宇喜多氏の当時の 活動を探る史料として、『宇喜多直家湯迫(ゆば)万灯記』、『妙善寺軍記 上道郡』や『吉備群書集成』 第三輯所収の『宇喜多戦記』、『龍口落城記』、『天神山記』(藤一雲著)などがある。

 しかしこれらはあくまで軍記物語であるから、そのフィクション性に対する考察が必要で、これをもってそのまま史実と判断するのは早計である。『剣酢漿草(けんかたばみ)の乱舞 備前宇喜多直家の生涯』(平7・森本繁著)は、この『備前軍記』を他史料とつき合わせ、年代の考証を加えた小説で、巻末には「戦国史料批判」と題した一論が加えられている。

 最後に、近年発行された資料(史料)集を2冊紹介する。まず、『金沢の宇喜多家史料 備作之史料(五)』(平8・備作史料研究会編集)について。これは金沢市立玉川図書館所蔵の「加越能文庫」の中の宇喜多家史料を翻刻したもので、その特徴の一つとして秀家が流された八丈島関係の史料が豊富なことがあげられる。

 また、先に紹介した岡山藩研究会の研究成果報告書である『岡山藩の支配方法と社会構造』(平7)には、しらが康義氏による「宇喜多氏関係史料目録」が載せられている。これは、宇喜多氏発給・受給文書及び関連文書を中心とし、さらに宇喜多氏に関連する日記などの記録について編年順に収録した目録である。

(3)宇喜多氏と岡山

 ご存知の方も多いと思われるが、岡山城の境域内には宇喜多直家秀家父子の「宇喜多氏顕彰之碑」がある。これは昭和48(1973)年、「岡山開府四百年」を記念して有志によって建設されたものである。この四百年前の天正元(1573)年は、宇喜多直家が居を岡山市沼城から現在の岡山城の西にある石山の地(もと金光宗高の居城)に移し、この地に城を築き、城下町を形成した年である。それまで岡山は全くの田舎であったようで、その意味では宇喜多氏は岡山の開祖と言えるのである。

 この「岡山開府」及び宇喜多氏顕彰碑に関しては、『岡山開府四百年記念 開祖宇喜多氏顕彰碑記念帖』(昭48・宇喜多氏顕彰碑会発行)、『岡山開府400年記念誌 城下町おかやま』(昭49・岡山開府400年記念誌編集委員会編)を御覧いただきたい。

 宇喜多氏と岡山城・城下町との関連を説いた文献は、「(1)「梟雄」宇喜多直家」でも触れたが、この他にも『岡山城築城400年 あいらぶ城下町』(平8・山陽新聞社編集局編著)や、歴史群像・名城シリーズ(12)『岡山城』(平8・学習研究社発行)などがある。とりわけ後者は図解が多く、前述の金光時代・直家時代の石山の城(いずれも想定図)、秀家・池田家の岡山城の変遷過程図を並べて掲載しており、岡山城の歴史を調べる入門書として便利である。

 『備前宇喜多氏の一族』(昭53・三宅正乗)、『戦国宇喜多一族』(昭63・立石定夫)は、宇喜多家及び宇喜多家臣団について論じた文献。宇喜多一族の系譜及び略年表をまとめており、また後者の巻末には宇喜多家分限帳が付されている。この他にも『戦国大名家臣団事典・西国編』(昭56・山本大・小和田哲男編、宇喜多氏関係は加原耕作執筆)は、宇喜多家臣団の人名事典として活用できる。

 最後に、主に宇喜多氏の検地政策に触れた研究論文を何点か紹介しよう。まず、しらが康義「戦国豊臣期大名宇喜多氏の成立と崩壊」(『岡山県史研究』第六号、昭59・岡山県史編纂室)は、宇喜多氏の検地政策を、豊臣政権下の朝鮮出兵の軍役確保の観点から論じたものである。
また、『岡山県史』第六巻 近世T(昭59・岡山県史編纂委員会編)や、寺尾克成「宇喜多氏検地の再検討」(『戦国織豊期の政治と文化』、平5・米原正義先生古稀記念論文集刊行会編)は、豊臣政権下の寺社政策との関係から宇喜多氏の寺社領検地を検討したもの。いずれも宇喜多氏の領国経営を、在地の動向や豊臣政権との関係に留意しつつ論じている。

 宇喜多氏の歴史的評価としては、従来多くの武将と戦乱を繰り広げたという面ばかりに眼が向けられがちであったが、今後領国内での検地政策をはじめとする多方面での研究が更にすすめられていくことを期待したい。

(『岡山県総合文化センターニュース』No.391・392・393、H9,4・5・6)

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