塚本 吉彦つかもと よしひこ

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 岡山県総合文化センター(現岡山県立図書館)には、例えば「備中国賀夜郡服部郷図」や古川古松軒自筆の「備中国加夜郡高松城水攻地理図」など「塚本家蔵図書」の印が押された資料が収蔵されている。塚本吉彦の名は岡山の郷土資料に接する者にとっては忘れがたい人物の一人である。
 塚本は天保年間(天保10〜大正5)の生れ。岡山藩学校に学んだ秀才と伝えられ、郷土の歴史や地理に興味を持って多くの資料を収集し、記録、編纂して、後世の郷土研究の先駈けとなった。号を澹如あるいは好古といった(雑誌『温古』77号 昭和5年6月)。
tukamoto.GIF (42202 バイト) 塚本吉彦は吉備史談会の活動とともに知られる。史談会での講演をまとめた『吉備史談会講演録』(明治37年、以下『講演録』と略す)の緒言によると、吉備史談会は、明治32年第三高等学校医学部(のち岡山医学専門学校)の眼科教授として赴任、東田町に住んだ井上通泰が塚本、岡直廬
(なおり)、松本胤恭(たねやす)らに、「時々相会して吉備の歴史を研究しては如何」とはかったのが始まりという。同年11月18日付の「山陽新報」は会長に井上通泰、幹事に塚本・松本・岡のほか、羽生芳太郎(のち永明)の4人が決まったと報じている。
 第1回の史談会は明治32年8月13日、井上の家で開催された。会は初め月2回、のちには月1回となったが、会員の増加によって薬師院、国清寺、さらに後楽園栄唱亭などが会場にあてられている。史談会の様子はその都度当時の山陽新報の記事になった。
 『講演録』には、塚本のほか、岡直廬、有元稔、正宗敦夫、小野節、羽生芳太郎、井上通泰、武田猛夫などの40の講演が収録されるが、このうちには塚本の姪八重へ与えた古川古松軒の書状を紹介した「古松軒の消息」のほか、「松平忠継君略伝」、「正木大膳亮時堯の伝」などあわせて16の講演が含まれ、その数は塚本が最も多い。
 史談会での講演は生の資料を示しながらの報告であったと思われる。『講演録』の末尾に示される出品目録が物語るところであろう。
 塚本は大正5年(1916)東京で客死したという。『温古』77号の記事は、塚本所蔵の吉備文献の多くは東京上野図書館に送ってあったため、不幸にも関東大震災で烏有に帰したと伝えている。『講演録』に紹介された資料はもはや現存しないのであろうか。
 当館では『講演録』のほか、その編になる『吉備群書解題』や「類纂虎倉物語」(『吉備郡書集成』第三巻所収)ほかを閲覧できる。

『岡山県総合文化センターニュース』No.420号、H12年、3月

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