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阪谷朗廬肖像
(興譲館高等学校蔵)
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阪谷 朗廬さかたに ろうろ

(1822〜1881)

 幕末の漢学者・教育者。備中・川上郡九名村(現小田郡美星町)の造り酒屋に生まれた。通称は希八朗、名は素(しろし)、号は朗廬。

 幼少の頃、大塩平八郎に学び、ついで江戸で同郷の昌谷精渓の門に入り、のちに古賀とう庵に師事した。26歳のとき、母の病で帰郷、後月郡簗瀬村桜谷(現後月郡芳井町)に桜渓塾を開いた。その後、寺戸村(現井原市西江原町)に創設された興譲館に招かれた。


 広島藩の藩儒にも迎えられ、さらに陸軍省に務めた後、文部、司法などの要職を歴任し、退官後、東京学士会議員に選ばれた。

 開国論を主張し、議会主義、海軍充実を説く開明派であり、福沢諭吉らの明六社に加わった。また、世界共通語の必要も唱えていた。

【参考資料(岡山県立図書館所蔵)】
「阪谷朗廬関係文書目録」(国立国会図書館専門資料部編、国立国会図書館、平2)
「阪谷朗廬先生書簡集」(山下五樹編、平2)
「贈位五位阪谷朗廬先生事歴」(阪谷芳郎、大5)
「阪谷朗廬先生五十回忌記念」(阪谷芳郎、昭4)
「阪谷朗廬の世界」岡山文庫(山下五樹著、日本文教出版、平7)
「朗廬文鈔」全三巻(阪谷素著、博聞社、明18)
「活儒阪谷朗廬」(「就実論叢」第13号、三浦叶著)
「阪谷素論」(「就実女子大学史学論集」第3号、山田芳則著)

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