野崎武左衛門
(倉敷市児島野崎家塩業歴史館

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塩田王

野崎武左衛門のざきぶざえもん

 JR児島駅一帯には、「塩田王」と呼ばれた野崎家ゆかりの史跡が多く残されている。その祖である昆陽野(こやの)武左衛門は、寛政元(1789)年児島郡味野村に生まれ、足袋の製造・販売業から、1827年以降塩田開発へと転身し、味野・赤崎沖に 約四十八町歩の塩田を完成させた。その塩田は両地名の一字ずつをとって野崎浜と名付けられ、自らも新たに野崎姓を名乗った。武左衛門はこの後も児島半島南岸を中心に塩田を開発し、1862年までに約150haの巨大な塩田地主となり、塩・石炭問屋や新田開発も営んだ。今回はこの野崎武左衛門の文献を紹介する。

 『郷土にかがやく人々』第三巻 昭32・吉岡三平著者代表)や、『人づくり風土記』(平元・社団法人農山漁村文化協会)には、武左衛門の 功績が子どもたちを対象とした平易な文体で紹介されている。『野崎武左衛門』(多和和彦著)は、産経新聞に連載された「おかやま県人太閤記」 の一部(昭和37年11月から二十回)である。ここで多和氏は野崎家の家系に着目し、 武左衛門を野崎家中興の祖と位置付ける。

 『備前児島野崎家の研究‐ナイカイ塩業株式会社成立史‐』(昭56・財団法人竜王会館、ナイカイ塩業株式会社発行)は、野崎家及びナイカイ塩業の発展過程を日本資本主義発達史との関連で科学的に究明した一冊。当時未整理の野崎家文書とその他の関係資料を活用しており、単なる一社史にとどまらないものである。また巻末には、武左衛門の遺訓などの付録資料や、近世以降の野崎家年表を付す。

 倉敷市児島の歴史を語る上でも武左衛門は欠かせない。『児島郡誌』(大4・岡山県児島郡役所)、『児島風土記』(昭57・倉敷の自然をまもる会編)、『児島産業史の研究』(昭34・多和和彦著)、『児島の日本一物語』(昭46・角田直一著)、『児島塩業史年表』(平2・角田直一編)、『児島歴史散歩』(昭52・原三正著)、『倉敷市児島史年表誌』(平7・十河直樹編著)には、武左衛門の功績が 紹介され、それが児島の歴史として記されているのである。
雑誌では、「倉敷の歴史−倉敷市史紀要−」(倉敷市史研究会編集)に、野崎家文書の紹介等が載せられている。今後の『新修倉敷市史』とともに期待したい。

 このほか、製塩業関係の資料は『瀬戸内海に関する図書総合目録(塩の部)』(平5・瀬戸内海関係資料連絡会議)を参照されたい。


野崎家旧宅土蔵群
(倉敷市児島野崎家塩業歴史館


野崎家旧宅表書院
(倉敷市児島野崎家塩業歴史館)

(『岡山県総合文化センターニュース』No.378、H8,4)

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