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小堀遠州(頼久寺蔵)
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岡山の小堀遠州
 小堀遠州といえば、江戸時代前期の武人としてよりも、むしろ芸道に秀でた文化人としての知名度の方が高いようである。 茶道では将軍茶道師範をつとめ、「遠州流」の創始者として名高い。また、後陽成院御所をはじめとして、駿府城・禁裏・二条城・ 仙洞御所など、数々の作事奉行を歴任。県内でも頼久寺庭園をはじめ岡山市東山の東湖園などを手がけており、建築・造園 に優れた 手腕を発揮している。このため、遠州関連文献は当館にも多く収められているが、今回はその中でも特に、遠州の備中支配 時代を中心 としたものを紹介する。

   小堀政一は、通称「遠州」として親しまれているが、これは彼が慶長十三(一六〇八)年、 従五位下遠江守を拝命してからのことである。天正七(一五七九)年に、近江国小堀村(現滋賀県長浜市)に生まれる。 一六〇四年、父正次の急逝により、遺領の備中国一万二四〇〇石を預かり、備中国奉行として元和三(一六一七)年まで務める。 彼の残した業績をかいつまんで紹介すると、

 (1)鉄・銅の産出と輸送
 (2)備中檀紙の生産・集荷体制の確立
 (3)松山城下町の整備


などである。遠州は、当時の商品経済の発展地である備中の掌握を徳川家康に委ねられ、 その職務を忠実に果たした人物といえよう。
 この小堀遠州の備中国奉行時代の研究の第一人者としてあげられるのが、人見彰彦氏である。同氏は、 「備中国奉行の素描−小堀遠州の周辺−」『岡山の歴史と文化』所収・昭58)や、『岡山県史 第六巻  近世T』(昭59・岡山県)などで遠州の備中国支配を考察してきたが、『備中国奉行 小堀遠州』(昭61・人見彰彦著) により、それまでの研究成果を集大成した。同書は、佐治家文書(滋賀県)や岸本家文書(香川県)、室家文書(岡山県成羽町) などの史料を基に、遠州の備中国奉行としての諸任務・動向について論考している。遠州は前述の様に作事奉行としても活躍し、 また大坂の役にも出陣したため、備中に長期間滞在し続けることはなかったようである。そのため、度々備中に派遣した代官に 書状を送り命令を下しているのだが、これらの書状が同書に載せられている。また、当時荒れていた備中松山城を遠州が再建した 事実を明らかにしている。

 この他、高梁市・新見市などの自治体史にも遠州の記述がみられる。読み物としては、片山亨氏の 「ふるさと歴史探訪 備中の小堀遠州 大茶人で名奉行の実像」『岡山経済』第112号所収・昭62)がある。

 昨年十月、小堀遠州没後三百五十年にあたるのを機に、頼久寺で献茶式が催された。高梁市では今年も 「小堀遠州公顕彰記念事業」(高梁商工会議所など主催)のひとつとして、この遠州茶会の開催はもとより、「遠州学」と 銘打った講演会が計画されている。これは、遠州という人物を通して、高梁の文化・歴史を知る機会を提供しようというもの。 現在でも遠州は、高梁市の地域活性の一躍を担っているのである。


(『岡山県総合文化センターニュース』No.396、H9,9)

*その他の小堀遠州関係文献*

『新訂寛政重修諸家譜 第十六』  (昭40・続群書類従完成会)
『茶人傳叢書(2)小堀遠州』   (昭24・重森三玲著)
『奈良国立文化財研究所学報第十八冊 小堀遠州の作事』(昭41・森蘊著)
『小堀遠州』(昭42・森蘊著) など


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