平成20年度 第5回県立図書館とことん活用講座
「岡山の正月行事 〜各地に伝わる興味深い習わし〜

  講 師 : 次田 圭介 氏 (岡山民俗学会理事長)
  日 時 : 平成20年12月6日(土) 14:00〜16:00
  場 所 : 岡山県立図書館 2階 デジタル情報シアター

講演の概要

■ 民俗学とは記録のない学問
 民俗は、記録がないことが多い。年々歳々、日々繰り返してやっている日常的なことは、記録に残さないからだ。しかし、気をつけなければいけないのは、「書かれていない」ことイコール「無かった」ことではないということだ。
写真1 (次田 圭介 氏)
次田 圭介 氏
■ 年中行事は変化していく
 民間で伝承されてきた年中行事は、何百年も受け継がれているものもあるが、それでも少しずつ変化している。終戦時、年中行事は大きな変化をとげた。敗戦により「神頼み」をしても駄目だという気風が生じたことや、戦後の経済難により、経費のかかる年中行事を行うことが難しくなったことが原因である。あまりに貧しいと、生活の中に伝わるしきたりも引き継いでいけない。
 昭和30年代後半、高度経済成長期にも若者の都会への流出による後継者不足や、テレビの普及によって、地方色が薄れ年中行事にも変化が見られた。テレビで報道されるものが良く、自分たちの伝えてきたしきたりを良しとしない風潮もあった。
 
■ 年中行事の継承
 年中行事は食べ物との関わりが大きいから、民間では主婦によって受け継がれるという面がある。嫁と姑の関係によっても伝わり方が変わる。嫁に任せると、嫁の里のやり方を持ち込むし、姑が強いと、これまで伝わってきた、その家代々のやり方が受け継がれる。このようなことから、同じ集落であっても家々によって違いが生じることがある。一つの行事、例えば正月のお雑煮を取り上げる場合でも、「〜村〜家の正月のお雑煮については…」というように限定を付けざるをえないのである。
 また、男性の伝承する分野についても、父親はしていたが自分は簡略化するというように、男性も代替わりの時にしきたりが簡略化されたり途絶えてしまうことがある。
 
■ 正月行事を考えるにあたって
 正月行事を考える際には、食も衣もいつもとは違い改まったものとなり、農業や信仰との関わりが大切であるが、「暦」との関係も注目しなくてはならない。
 明治の初め、政府によって太陽暦が定められたが、すぐに民間の年中行事すべてに普及したわけではない。旧暦(太陰暦)によって年中行事を行う家も多く、一つの町の中でも、旧暦を用いる場合、新暦を用いる場合、旧新両方を用いる場合と、様々だったようだ。殊に県北では、正月行事は昭和30年代までは旧暦を用いていたという家もある。
 
■ 正月行事の準備
 民俗学において、正月行事は年中行事のうちの半分から三分の一のウエイトを占める大事な行事であり、準備に関する習わしも多い。
 「箸削り」、「ススハキ」「シメナイ(シメ飾り)」など。その年の豊穣を願い、年(歳)神様にワラジをお供えするが、年神様は一本足と考えられていて片方だけお供えする。
 「餅つき草履」の話
 奥津町の調査をしたとき、あるおばあさんから正月の餅をつくときにだけ履く「餅つき草履」の話を聞いた。現在その姿は見られず、人々から忘れ去られようとしていた。他の地域にも例のない大変珍しいものだったので、お願いして藁で作ってもらった(左写真)。
写真2
 
かつて正月前の村に当たり前に使われていたにもかかわらず、記録がないため、存在したことすら消えようとしていた「餅つき草履」は、おばあさんが我々に伝えて何十年ぶりかに蘇り、存在していたことを記録にとどめたのだ。
 数ヶ月たって再び村を訪れたとき、おばあさんは亡くなられていた。たまたま話を聞いて甦った「餅つき草履」の一つは、現在、福山市松永の日本はきもの博物館に展示してある。
■ 正月は語呂合わせで縁起を担ぐ
 正月行事のしきたりには語呂合わせで縁起を担ぐものが多い。鯛は「めでたい」、昆布は「よろこぶ」、豆は「まめなように(健康なように)」、うらじろは「心(うら)清く」、数の子は「子の数が多く」、かち栗は「勝ち」、榊は「栄える」などがある。その他に、串柿を二・六・二つに分けて刺しているのは、「仲睦(六)まじく、ニ(二)コニ(二)コ」という意味があるという。
 
■ 時間の境としての正月
 昔から、日本人は時間の境目を特別に意識してきた。境目が一年を単位として訪れるのが、正月である。旧年と新年の間の境に人はこだわり、正月行事を催す。わが国最初の勅撰和歌集「古今和歌集」の冒頭には次の歌が載せられている。
     ふるとしに春たちける日よめる     在原元方
     年の内に春はきにけり ひととせをこぞとやいはん ことしとやいはん
 この冒頭の歌は何を意味するのか。年の変わり目は大歳か節分か。1000年以上前からとしの境目にこだわっている。新しい正月は、一年間の厄を祓い清めて年神を迎えるという意味がある。年神は、我々に幸せをもたらしに、どこか遠いところからやって来る存在として思い描かれていたのである。
 
■ 正月と盆
 『徒然草』の第十九段には、次のような記述がある。
     なき人の来る夜とて魂祭るわざは、この比(ころ)都にはなきを、
     東(あずま)の方には猶(なお)することにてありしこそ、あはれなりしか
 この大晦日の晩についての記述は、今ではお盆にだけ行う祖先を迎える魂祭を、かつては正月にもしていたことを示している。盆と正月は、神や魂を迎えるしつらえがよく似ている。
 年中行事や古いしきたりをよくみると、彼岸も年に2回あり、収穫期も米秋と麦秋がある。お中元や歳暮を贈る習慣があり、かつては買い物の支払いも節季払いといって正月前と盆の前にまとめて半年分払っていた。
 このように、一年を二つの時期に分けて考える両分性という考え方がある。祖先の魂を盆だけでなく正月にも迎えていたのではないか。それが、新年を迎えるめでたいことの方にウエイトが偏り、祖先の魂を祭るということが薄れて正月行事は盆とは別の行事になったのではないだろうか。
写真3
時間切れとなり、まとまりのない話となったが、これからも人々の間に伝えられている生活文化に関心を持ち続けたい。
 

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